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浦和地方裁判所 昭和57年(わ)271号 判決

本籍

山形西田川郡温海町大字湯温海甲一九二番地の一

住居

埼玉県越谷市越ケ谷一丁目一五番二号

医師

菅原賢治

昭和五年九月一七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官藤河征夫出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年及び罰金一三〇〇万円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、埼玉県越谷市越ケ谷一丁目一五番二号菅原産婦人科医院において、産婦人科の診療所を経営していた医師であるが、自己の所得税を免れようと企て、被告人の妻菅原ムツ子と共謀のうえ、診療収入の一部除外などの方法により仮名預金を設定し、債権等の簿外資産を取得するなどして所得を秘匿したうえ

第一  昭和五三年中における総所得金額が六五九六万〇二八三円(別紙一修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が三三三一万七五〇〇円(別紙三税額計算書参照)であるにもかかわらず、昭和五四年三月一五日、埼玉県春日部市大字粕壁字浜川戸五四三五番地の一春日部税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が四四一二万三二〇六円で、これに対する所得税額が一八八六万八九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により正規の所得税額と右申告税額との差額一四四四万八六〇〇円を免れ

第二  昭和五四年中における総所得金額が一億二六一八万四三九五円(別紙二修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が七六〇五万四一〇〇円(別紙四税額計算書参照)であるにもかかわらず、昭和五五年三月一二日、埼玉県越谷市赤山町五丁目七番四七号越谷税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が八〇三〇万五六八五円で、これに対する所得税額が四一七九万四六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により正規の所得税額と右申告税額との差額三四二五万九五〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

一  被告人の検察官に対する各供述調書(四通)

一  収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書(一〇通)

一  証人原正一(第一、二回)、同塩原春夫、同田島紀雄、同唐澤昭善及び同後藤幸男の当公判廷における各供述

一  第九回公判調書中の証人原正一の供述部分

一  証人斎藤満及び同原正一に対する当裁判所の各尋問調書

一  菅原ムツ子(五通)、井上眞由美(二通)及び藤田博の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏大蔵事務官の東眞由美、藤田博(二通)、川原邦彦及び本田治美に対する各質問てん末書

一  収税官吏大蔵事務官の鮎沢一夫に対する質問てん末書抄本

一  菅原ムツ子(一四通)、松原与四郎、有限会社有山産業、松村武結、両角修治、井橋吉藏(二通)、野口耕平、田宝高明、厚河修一、小林稔、岡崎正太郎、江波戸正雄、前田真孝、大草正弘、真鍋久勝、竹下忠雄、松本利一、野沢幸治、福神邦雄、新藤昌信、相澤徹雄、甲斐隆次、植竹勇、鈴木一清、石橋貞雄、江島和幸、清水日出子、平野清、井上宏、小山直樹(二通)、伊藤龍介、村田士郎、石川智昭、栗原茂(二通)、田中良典(二通)、信田仁(四通)、早川雅雄、高田雄光及び細谷昌平作成の各答申書

一  埼玉県自動車税事務所長、東京都小平郡税事務所長、春日部社会保険事務所長、越谷税務署長(四通)、東京都国民健康保険団体連合会理事長及び小山富夫作成の各証明書

一  坂東正夫作成の申述書

一  小島商事有限会社作成の「菅原産婦人科」と題する書面

一  埼玉県国民健康保険団体連合会理事長作成の「診療報酬支払額の照会について(回答)」と題する書面

一  埼玉県社会保険診療報酬支払基金幹事長作成の「診療報酬支払額等について(回答)」と題する書面

一  川崎市長作成の「診療報酬請求に対する支払いの照会について(回答)」と題する書面

一  収税官吏大蔵事務官作成の乳児検診収入調査書、その他外来診療収入調査書、雑収入調査書、妊婦検診無料受診票調査書、妊婦外来収入調査書、薬品、診療材料、衛生材料、仕入調査書、昭和五四年期末直近仕入高検討書、経費調査書、経費比較検討書、減価償却資産の残高及び減価償却費調査書、給料賃金調査書、借入金及び支払利息調査書、三洋証券越谷支店調査関係書類、住友銀行越谷支店調査関係書類、富士銀行越谷支店調査関係書類、太陽神戸銀行習志野支店調査関係書類、千葉銀行高津店調査関係書類、売上(収入)金額調査書(二通)、昭和五三年分入院患者収入調査書(二通)、昭和五四年分入院収入調査書及び人工妊娠中絶手術収入調査書

一  収税官吏大蔵事務官作成の現金、預金、有価証券等確認書及び在庫、現金、預金等確認書

一  国税査察官作成の査察官報告書

一  検察事務官作成の昭和六〇年五月七日付報告書

一  押収してあるメモ紙一枚(昭和五九年押第一八六号の1)、現金出納帳一綴(前同号の2)、現金勘定集計票一二綴(前同号の3の1ないし4、4の1ないし4、5の1ないし4)、総勘定元帳一綴(前同号の6)、金銭出納帳一綴(前同号の7)、出納帳一冊(前同号の8)、五四年分給料明細表三綴(前同号の9の1ないし3)、所得税源泉徴収簿一綴(前同号の10)及び給与支給明細表一綴(前同号の11)

(弁護人の主張等に対する判断)

第一  弁護人は、被告人が本件犯行につき菅原ムツ子(以下「ムツ子」という)と共謀した事実はなく、また、被告人には本件犯行についての故意もなく、被告人は無罪であると主張する。

しかしながら、次に詳述するとおり、前掲各証拠によれば、被告人とムツ子の共謀及び被告人の故意の点も含め、判示罪となるべき事実を認めることができ、弁護人の右主張は失当であって、採用できない。

一  前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

1 被告人は、昭和三一年三月昭和医科大学医学部を卒業し、昭和三二年五月医師国家試験に合格した後、昭和三三年四月新潟大学医学部産婦人科教室副手となり、以後同教室のほか、各地の公立病院等に勤務し、昭和四七年五月千葉県八千代市の高津団地で、菅原産婦人科医院を開設した。その後、被告人は、昭和五二年八月同医院を埼玉県越谷市の現住居地に移転し、以後同医院において助産婦、看護婦及び事務員等を雇用し、自ら産婦人科医師として診療に当たっていた。

2 被告人は、新潟大学医学部産婦人科教室教授の命により、公立佐渡総合病院に出張したことから、同病院に看護婦として勤務していた現在の妻であるムツ子と知り合い、昭和三六年一〇月同女と婚姻した。ムツ子は、被告人が千葉県八千代市に菅原産婦人科医院を開設してからは、主に同医院の窓口事務及び経理事務を担当するようになった。

3 被告人は、千葉県八千代市の高津団地に菅原産婦人科医院を開業して間もなく、緊急時に備えて、いわゆる裏金を作る必要があるものと考えるようになり、開業後約一年経過したころ、ムツ子に対し、人工妊娠中絶手術収入の一部及び入院費のうちの雑費分を収入から落として裏金に回すよう指示し、ムツ子は、右指示に従って、人工妊娠中絶手術収入の一部及び入院費収入のうちの雑費分並びにこれらに加えて乳児検診収入のうち領収書などを発行しなかった部分及びピル、リングの売上などの窓口収入分を除外し除外分を裏金として仮名預金等の形で蓄えるようになった。そのころ、菅原産婦人科医院の窓口事務は、ムツ子が一人で行っていたが、ムツ子による窓口収入除外の具体的方法は、除外分の収入金額を窓口収入記帳用のノートに書き込まないようにし、伝票及び金銭出納帳にも記入せず、現金を夫婦の部屋の戸棚等に保管しておき、これを仮名で銀行に預金するというものであった。その後、菅原産婦人科医院では、レジスターを導入したことから、ムツ子は、前記窓口収入の除外分をレジテープに打ち込まないようにし、除外分については、金銭出納帳及び伝票にも記入しないという方法により、裏金作りを行うようになった。

また、被告人は、昭和四九年ころ東眞由美を事務員として雇い入れ、以後ムツ子と東の二人が窓口事務を担当することになったが、東は、ムツ子の指示に従い、人工妊娠中絶手術収入についてはレジテープに打ち込まず、また、乳児検診収入についても、ムツ子の入金処理方法に従って、同様にレジテープに打ち込まないようにしていた。

4 ムツ子は、菅原産婦人科医院が高津団地に置かれていた間、前記3の方法により、窓口収入の一部除外による裏金作りを行っていたが、同医院が越谷市に移転して間もなく、被告人から、取引銀行の幹部に経営悪化に備えた裏金作りの必要性について示唆を受けたのでそれに従って裏金を貯めるつもりだと言われ、また、被告人から優生保護法の適用を受けられないので人工妊娠中絶手術収入についてはその全部を収入から除外するよう指示されたことから、越谷市に移転したのちも、人口妊娠中絶手術収入の一部でなくその全部を除外するようにし、入院費収入のうちの雑費分を除外しないように変更したほかは、高津団地のときと同様の窓口収入除外の方法により裏金を作り、これを被告人夫婦の寝室に備え付けた金庫に保管しておき、適宜仮名預金の形で蓄えるようにしたが、このようなムツ子による裏金作りは、昭和五三年から昭和五四年にかけて引き続き行われていた。

5 越谷市に移転した後の菅原産婦人科医院の窓口事務は、ムツ子と事務員の東が担当した。窓口では、入院費収入以外の収入については、保険診療収入と自由診療収入とを区分してレジテープに打ち込み、入院費収入については、領収書控えに記載された金額をレジテープに転記する方法により入金処理していたが、ムツ子及び東は、高津団地において行っていたのと同様、窓口収入のうち人工妊娠中絶手術収入及び乳児検診収入については、レジテープに打ち込まないようにしていた。窓口収入のレジテープから伝票及び金銭出納帳への転記は、ムツ子が行っていたが、昭和五三年分については、経理指導を依頼された藤田税理士が伝票に記入する場合もあった。

6 ムツ子及び東は、昭和五三年の半ばころから同年一一月末ころまで、窓口で自由診療分と保険診療分との内訳が直ちには判明しない入院費についてもレジテープに打ち込まないでおき、内訳が判明した後にボールペンでレジテープに記入するようにしたが、これを記入せず放置する場合もあり、日曜日に受領した入院費をレジテープに打ち込まないで済ます場合もあり、これらの窓口収入も伝票及び金銭出納帳に記載されず、裏金の一部となった。

7 ムツ子は、昭和五三年中毎月一回位の割合で、収入から除外した人工妊娠中絶手術収入、乳児検診収入及びピル、リングの売上収入に見合う分として一〇〇万円ないし二〇〇万円ずつを仮名預金にしており、そのことは被告人にも話し、被告人もそれを了承していた。昭和五三年一二月になって、ムツ子が金銭出納帳の残高と金庫に保管してあった現金とを照合したところ、既に仮名預金にしてあったものを除き、なお数百万円の裏金が現金で残っていたが、これは窓口収入の一部で、レジテープに打ち込まれなかった入院費などの収入が集積されたものであった。被告人もその事実を知り、ムツ子に「どうしてこんなに金があるんだ」と尋ねたが、ムツ子が人工妊娠中絶手術収入以外の収入の一部も裏金に回しているものと考え、ムツ子に対し、その金を表に回すようにとの指示はしなかったことから、被告人の気持ちを察したムツ子は、右数百万円の裏金も銀行に仮名で預金した。

8 ムツ子から被告人の昭和五三年分の収支決算及び納税申告手続を行うよう依頼されていた藤田税理士は、昭和五四年二月から三月にかけて、被告人の昭和五三年分の収支を計算して所得税確定申告のための集計表を作成したが、その中には、ムツ子が裏金として仮名預金に回した人工妊娠中絶手術収入、乳児検診収入の一部、ピル・リングの売上収入、妊婦検診収入の一部及び入院費のうちレジテープに打ち込まず又は転記しなかったものなどが収入として計上されていなかった。被告人及びムツ子は、藤田税理士から右集計表の内容について説明を受けたが、ムツ子は裏金として除外した収入があることは伏せたまま、領収書がなく伝票にも記載のない経費約一〇〇万円が洩れているのでこれを計上してもらいたいと藤田税理士に依頼した。藤田税理士は、ムツ子の右依頼に難色を示しながらも、依頼の趣旨に従って前記集計表を修正した。これを受けて、被告人は、修正後の集計表に記載された所得額で確定申告をすることにし、藤田税理士が罪となるべき事実第一記載のとおりの内容の被告人の昭和五三年分の所得税確定申告書及びその添付書類を作成し、昭和五四年三月一五日ムツ子がこれらの書類を春日部税務署に提出した。

9 ムツ子は、昭和五四年四月ころ、被告人に関する経理指導の依頼先を藤田税理士から塩原公認会計士に代えるとともに、それまで継続していた伝票の作成をやめ、レジテープ及びその集計を記入した金銭出納帳を基にして経理を行うようになったが、人工妊娠中絶手術収入の全部、乳児検診収入及びピル・リングの売上収入の大部分、妊婦検診収入の一部などについては、昭和五三年と同様レジテープに打ち込まず、その金額を除外して窓口収入を計上するようにしていた。

10 昭和五四年に菅原産婦人科医院の窓口収受した現金は、それまでと同様収入除外分も含めて、一日ごにムツ子が被告人とムツ子の寝室の金庫に運び入れていたが、窓口事務が昭和五三年よりも多忙となったことからムツ子が行うレジテープから金銭出納帳への転記も遅れがちになり、一か月ないし二か月分をまとめて転記することも珍しくなくなった。そして、ムツ子は、右のようにして作成した金銭出納帳を所得税確定申告手続のための資料の一部とするため、レジテープ、領収書などとともに、一か月ないし二か月ごとに塩原公認会計士のもとへ送り届けていたが、右レジテープ及び金銭出納帳には、前記9でのべた裏金に相当する収入は記載されておらず、ムツ子は、収入除外の方法で作った裏金を昭和五三年と同様仮名で銀行に預金するなどしており、被告人も、それを承知していた。

11 ムツ子は、被告人が昭和五四年秋ころ優生保護法の指定医師となり、埼玉県知事に対し人工妊娠中絶手術の事例を報告するようになったため、埼玉県知事に報告した人工妊娠中絶手術に関する収入は裏金に回さず、正規の収入として計上するようにしたが、そのほかは、従前と同様の方法により窓口収入の一部を除外し、裏金に回していた。

12 被告人は、昭和五五年三月上旬ころ、自宅において、かねて経理指導を依頼していた塩原公認会計士から、被告人の昭和五四年分の収入は二億円を少し越え、所得が一億円を少し越える額になるが、資料の不備もあり収入の一部を推計しなければならないことから、青色申告ではなく白色申告という方法もとれる旨聞かされ、窓口収入の一部を除外して作った裏金を除いても所得が一億円以上あることを知った。被告人は確定申告するには所得が少し高いのではないかと考え、塩原公認会計士にはその額で確定申告するかどうか一晩検討したいと話して引き取ってもらい、翌朝友人の医師に相談したところ、相手の医師及びその妻から青色申告をやめて丼勘定で白色申告をしたほうが良いと言われた。そこで、被告人は、塩原公認会計士の計算は、裏金分を除いたものとしてはほぼ正しい額だと思いながらも、一億円余の所得は、やはり他の医師に比べれば高過ぎると考え、塩原公認会計士に所得税確定申告手続を依頼するのは取りやめて、自分で白色申告をすることに決め、その旨を塩原公認会計士に話したところ、塩原公認会計士も、白色申告をするなら被告人が自ら行えばよいとして、被告人の昭和五四年分の所得税確定申告手続事務から手を引くことになり、預託を受けていた金銭出納帳等の書類をムツ子に返還した。

13 昭和五四年分の所得税確定申告を自ら行うことになった被告人は、ムツ子に対し、越谷税務署に出向いて確定申告についての相談をしてくるよう指示した。ムツ子は、被告人の右指示に基づいて、塩原公認会計士から金銭出納帳等の書類の返還を受けた日の翌日ころ、収入金額を記載したメモ及び保険診療に関する支払基金等からの振込通知書などの資料を持参して越谷税務署へ出向き、同署において所得税の納税相談を担当していた上席国税調査官斉藤満に面接し、所得額の計算方法等について相談した。ムツ子は、斉藤上席国税調査官に対し、右メモに基づき、保険診療収入のうち窓口で受領した金額は一〇〇〇万円で、分娩費用を含めた自由診療の窓口収入の総計は七九〇〇万円であり、昭和五四年の窓口収入の総額は八九〇〇万円であると説明したが、右金額は、ムツ子が仮名預金に回すなどの方法により隠ぺいした裏金分を除くようにして、いわゆる丼勘定で適当に決めたものであった。これに対し、斉藤上席国税調査官は、保険診療に関する支払基金からの振込通知書等の資料を基に計算すると、保険診療収入のうち窓口で受領した金額は三三四三万二六八四円になるので、窓口収入の合計はムツ子の説明より増加するのではないかと考え、その旨ムツ子に指摘したところ、ムツ子は、保険診療収入及び自由診療収入を合計した窓口収入の総額が八九〇〇万円であると重ねて説明したため、斉藤上席国税調査官は、ムツ子の右説明に基づき、所得税確定申告書用紙に所要の金額を書き込んだが、ムツ子は、その場で直ちにこれを所得税確定申告書として提出することはせず、自宅に持ち帰り、これを被告人に見せた。被告人は、右所得税確定申告書に記載された金額を見て、「思ったより少ないな。ひょっとしたら調査があったときに取られるぞ」と言ったが、結局そのままの金額で申告するようムツ子に指示した。ムツ子は、右所得税確定申告書に被告人の氏名を代筆し、被告人の印を押捺して、罪となるべき事実第二記載のとおりの内容の所得税確定申告書を作成し、同月一二日越谷税務署に提出した。

二  ところで、弁護人は、(1)被告人は昭和五三年分及び昭和五四年分の所得税確定申告に全く関与しておらず、したがって、本件各犯行につきムツ子と共謀することはありえず、また、所得税を免れることについての故意もなかったものであり、(2)昭和五三年分の所得の過少申告の主な原因は、入院費収入の計上洩れがあったことによるものであるところ、これは、窓口事務を担当していたムツ子ないし東眞由美が領収書控えに記載された金額をレジテープに転記すべきであったのに、これを怠ったために発生したものであって、ムツ子に所得の計上を脱漏した点に過失があったことは否定できないものの、これをもって被告人及びムツ子が故意に所得を隠ぺいしようとしたものとはいえず、(3)昭和五四年分については、昭和五五年三月ムツ子が越谷税務署に所得税確定申告の相談に行った際、担当の斉藤上席国税調査官が被告人の窓口収入金額の算定を誤り、ムツ子に対し過少な金額で所得税確定申告をするよう指導したことから、ムツ子が所得金額の計算を誤って過少申告したものであり、被告人及びムツ子が故意に所得を隠ぺいしようとしたものではないと主張する。

しかしながら、まず(1)について検討すると、被告人が昭和五三年分及び五四年分の所得税確定申告の内容を了知し、ムツ子に対して申告内容を指示するなど、積極的に関与していたことは、一で認定した事実に照らせば明らかであり、昭和五三年分及び昭和五四年分の所得税を免れることに関し被告人とムツ子の間に共謀があったこと及び被告人に故意があったことも十分に認められるのであり、被告人の当公判廷における供述及び証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中の供述部分のうち、弁護人の主張に沿う部分は信用できず、弁護人の主張は採用できない。

また、(2)については、確かに昭和五三年分の所得税確定申告が過少となった原因の一つに、弁護人の主張する入院費収入の計上洩れがあったことは否定すべくもないが、ムツ子は昭和五三年分の所得税確定申告に当たり、入院費収入の計上洩れがあることを了知しながら、これを収入に加算しなかったものであり、被告人も少なくとも概括的には右事実を認識していたものと認められ、被告人及びムツ子に入院費についての収入除外による所得隠ぺいの故意があったことは明らかである。また、昭和五三年分の人工妊娠中絶手術収入、ピル・リング販売収入などの除外についても、被告人及びムツ子は、収入除外の事実を熟知しながら、所得税確定申告に当たりこれを収入として計上しなかったものであり、これらの収入に係る所得隠ぺいの故意があったことも十分認められる。この点に関する弁護人の主張も採用できない。

更に、(3)について検討すると、昭和五四年分の所得税確定申告についてムツ子が越谷税務署に相談した経緯は前示一13で認定したとおりであり、斉藤上席国税調査官が指導を怠った事実はなく、右認定に反する証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中の供述部分は信用できず、この点についての弁護人の主張も採用できない。

第二  なお、弁護人は、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する質問てん末書及び被告人、ムツ子の検察官に対する供述調書は任意性を欠き、更に、特信性ないし信用性もないと主張するので判断する。

一  前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

被告人の昭和五三年分及び昭和五四年分についての所得税法違反被疑事件の捜査は、昭和五六年六月ころ関東信越国税局調査査察部によって開始され、被告人宅の捜索差押え、関係者からの事情聴取などのほか、被告人及びムツ子の取調が行われ、昭和五六年六月ころから昭和五七年一月ころまでの間に収税官吏大蔵事務官の被告人及びムツ子に対する各質問てん末書が作成された。昭和五七年二月右事件につき関東信越国税局収税官吏大蔵事務官から告発を受けた浦和地方検察庁検察官は、被告人及びムツ子に対する所得税法違反被疑事件として捜査に着手し、昭和五七年二月下旬から同年三月上旬間での間に被告人及びムツ子の検察官に対する各供述調書が作成された。

この間の捜査は、すべて被告人在宅のままで行われており、特に、被告人に対する収税官吏大蔵事務官の質問は、被告人の自宅で被告人の診療に差し支えのない時間帯を選んで行われ、検察官の捜査の段階に入ってからは、第一回目の被告人の検察官に対する供述調書が作成された日に弁護人が選任された(弁護人選任の時期は当裁判所に顕著な事実である)。また、ムツ子は、収税官吏大蔵事務官の取調に対し、終始協力的であり、求めに応じ自ら答申書を作成して収税官吏大蔵事務官に提出している。

二1  そこで、まず、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書の任意性について検討する。弁護人は、右各質問てん末書が作成された際、取調に当たった収税官吏大蔵事務官は被告人に対し、供述拒否権も告げず、「脱税の事実を認めなければ逮捕するぞ。患者を転院させる用意をしろ」、「病院の診療ができなくなるぞ」、「医者の免許を取り消してやるぞ」、「認めれば悪いようにはしない」、「税金を払えば済むことだ」などと言って自白を強制したと主張し、被告人も、当公判廷において、「捜査官から『医師免許を取り消してやる』『患者なんか死んでもいい』などと言われた」と供述するが、そもそも本件は、終始在宅事件として取り扱われ、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する取調もすべて被告人の自宅において行われていること、取調の時間も、被告人の診療に差し支えない時間帯を選ぶなどの配慮がなされていること、被告人は捜査の初期の段階から本件事実関係を大筋において認める供述を繰り返していること等を合わせ考えれば、被告人の公判供述中任意性を疑わせるような事由に関する部分はたやすく信用できず、他に被告人の右各質問てん末書における供述についてその任意性を疑わせる事情はうかがえないから、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書の任意性は十分認めることができる。

なお、前掲各証拠によれば、本件では、取調に当たり収税官吏大蔵事務官は被告人に対して供述拒否権を告げなかったことが認められるが、右認定のような取調状況のもとでは、供述拒否権の告知がないとしても、右各質問てん末書の任意性に疑問を生じる余地はないというべきである。

2  次に、被告人の検察官に対する各供述調書の任意性について判断する。弁護人は、右調書は検察官が収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書に基づいて被告人を取り調べたうえで作成しており、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書に任意性が認められない以上、被告人の検察官に対する各供述調書も任意性を欠くものと主張する。しかしながら、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書の任意性に何ら問題とすべき点がないことは前記1のとおりであって、弁護人の右主張はその前提を欠くものであり、また、本件は、検察官の捜査の段階でも在宅事件として取り扱われ、その当初から弁護人が選任されていたこと、被告人は検察官に対しても一貫して事実を認める供述をしていることなどに照らせば、被告人の検察官に対する各供述調書の任意性は十分肯定できる。

3  続いて、ムツ子の検察官に対する各供述調書の任意性について検討する。弁護人は、ムツ子が収税官吏大蔵事務官の取調を受けた際、収税官吏大蔵事務官はムツ子に対し供述拒否権を告知せず、また、ムツ子の弁解に耳を貸さないでその供述を強制したと主張し、収税官吏大蔵事務官のムツ子に対する各質問てん末書は任意性がなく、それがムツ子の検察官に対する各供述調書にも影響を与えていることは明らかであるから、これらの供述調書も任意性を欠くというべきであり、また、検察官はムツ子を取り調べるに当たり夜間同女を電気をつけない真暗な部屋に長時間一人で放置したものであって、このような取調で得た前記各供述調書には任意性があるとはいえないと主張し、証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中にもこれに添う供述部分がある。しかしながら、先に述べたように、本件は終始在宅事件として捜査が行われていたこと、ムツ子は捜査の比較的初期の段階から一貫して本件事実関係を概ね認めていたこと、捜査に当たった収税官吏大蔵事務官に対しても終始協力的であり求めに応じ自ら答申書を作成して提出していることなどの事情を合わせ考えれば、証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中収税官吏大蔵事務官の各質問てん末書及び検察官に対する各供述調書の任意性を疑わせるような事由に関する供述部分は信用できないものであり、他にムツ子の検察官に対する供述調書の任意性を疑わせしめる事情は存在せず、右各供述調書の任意性は十分に認められる。

なお、前掲各証拠によれば、本件においては、収税官吏大蔵事務官は、被告人の場合と同様、ムツ子にも供述拒否権を告げないで取調を行っていることが認められるが、右認定のような取調状況のもとでは、供述拒否権の告知がないとしても、右各質問てん末書の任意性に疑問を生じる余地はなく、ムツ子の検察官に対する各供述調書の任意性にも影響を与えないというべきである。

三  次に、収税官吏大蔵事務官の被告人に対する各質問てん末書、被告人の検察官に対する各供述調書の信用性ないし特信性について検討する。

右各質問てん末書及び各供述調書の作成経過は前記一で認定したとおりであり、格別不審な点はなく、また、供述の内容も合理的で一貫性があり、他の客観的証拠とも一致しているのに対し、右各質問てん末書及び供述調書の内容を否定する被告人の当公判廷における供述及び証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中の供述部分は、一貫しない点や不自然、不合理かつあいまいで回避的な点が多く見られ、たやすく信用できないことに照らせば、前記各質問てん末書及び各供述調書の信用性ないし特信性は十分に肯定することができ、弁護人の主張は採用できない。

第三  弁護人は、本件所得税額の計算については、被告人の昭和五三年分の保険診療報酬に係る自己負担金を収入に二重に計上し、昭和五三年分及び昭和五四年分の簿外給与、謝礼を経費に算入せず、また、所得標準率の適用を誤るなど、その算定方法に疑問があると主張する。

そこで、以下これらの点について検討する。

一  所得標準率の適用について

弁護人は、所得標準率の適用は行政指導のうえでも一般的に認められているところであり、本件の所得金額の算定についても、これを適用すべきであると主張する。しかしながら所得標準率は、所得金額の算定根拠を持たない納税者の所得金額の計算について適用されるものであり、いわゆる推計課税の一方法として用いられるが、所得税については、実額で所得計算を行うのが原則であって、右のような推計課税の方法は、実額計算によることができない場合に限って例外的に認められるものであり、やむを得ず推計により所得金額を計算する場合でも、実額計算が可能な部分については実額計算により、それ以外の部分についても、できる限り実額計算に準じた方法によるべきであるところ、本件では、昭和五三年分の所得の全部及び昭和五四年分の所得の大部分について実額計算による算出が可能であり、後記四のとおり、昭和五四年分の賄費については、実額計算が不能であるが、これについても実額計算に準じた推認方法によりその金額を認定することができるから、本件において、所得標準率を適用する余地はなく、弁護人の右主張は採用できない。

二  自己負担金の二重加算について

弁護人は、本件における菅原産婦人科医院の昭和五三年分の入院費収入の算定方法に関し、窓口で受け取った入院費のうち本来保険診療の自己負担金として計上すべき金額を誤って自由診療収入金額として計算し、別に保険支払基金等からの振込収入金額を基に自己負担金分を算出しているため、入院費のうち保険診療の自己負担金分が収入として二重に計上されていると主張するので検討する。

菅原産婦人科医院の昭和五三年分の窓口収入の経理方法は、前記第一の一5で認定したとおり、入院費収入以外の収入については、保険診療収入と自由診療収入とを区分してレジテープに打ち込み、入院費収入については領収書控えに記載された金額をレジテープに転記し、このようにレジテープに打ち込まれ、又は転記された金額を伝票及び金銭出納帳に記入し、これに基づいて所得税確定申告の際の収入金額を計算するというものである。そして本件では、前記第一の一6で認定したとおり、そのうちの入院費収入の一部について、その金額を領収書控えからレジテープに転記しないようにし、伝票及び金銭出納帳にも記帳しないで売上から除外した事実が認められるところ、前掲各証拠によれば、本件における計上洩れの入院費収入金額の算定に当たっては、領収書控えの金額の合計額から、所得税額確定申告の際入院費収入として公表された金額を差し引いて計算しているのであって、入院費収入総額を算定するについて、これとは別に保険支払基金からの振込収入金額を基に自己負担金分を算出して加算しているわけではなく、このような計算方法による限り、計上洩れの入院費収入について自由診療収入と保険診療の窓口収入との区分を誤ることはあっても、入院費収入総額の計算に影響はなく、弁護人の主張するような窓口収入の二重計上が発生する余地はないのであって、弁護人の主張は採用できない。

なお、弁護人は、右のような計算では、窓口収入のうちの自由診療収入と保険診療収入については、租税特別措置法二六条一項の適用により税率が異なるから、最終的には被告人の所得金額に変動を来たすと主張する。

しかしながら、租税特別措置法二六条三項によれば、同条一項は所得税確定申告書に同項の規定により事業所得の金額を計算した旨の記載がない場合には、同項は適用されないところ、本件では、前掲各証拠によれば、被告人の昭和五三年分所得税確定申告書にその旨の記載がされておらず、したがって、本件に同法二六条一項が適用される余地はないから、弁護人の主張は、その前提を欠くものであり、失当である。

三  簿外給与、報酬について

弁護人は、昭和五三年及び昭和五四年において、被告人が看護婦等に対して簿外給与を支給しており、これを右各年分の被告人の所得金額の計算上必要経費として差し引くべきであると主張する。

しかしながら、前掲各証拠によれば、被告人が簿外で看護婦等に支払ったとする給与については、被告人及びムツ子とも捜査段階ではその存在について一切言及しておらず、また、弁護人主張に係る簿外給与の性質及び支給の根拠はあいまいなものであり、支給期間も不明確なうえに、その支給金額も不自然であって、支給を受けない看護婦等との均衡からみても多大の疑問があり、弁護人の主張に沿う簿外給与を支給したとする証人ムツ子及び同末永良子に対する当裁判所の各尋問調書中の供述部分は信用できず、弁護人の主張は採用の限りでない。

また、弁護人は、昭和五三年及び昭和五四年において、被告人は臨時医師に対して簿外の報酬を支払ったと主張するが、前掲各証拠によれば、本件では、国税局による捜査の段階でのムツ子の申出に基づき医師名を明らかにできない報酬として、昭和五三年分として八四万円、昭和五四年分として三六万円が既に必要経費として認容されており、その他に医師名を明らかにした報酬の支払額が必要経費の額に算入されているのであるから、それ以外に臨時医師に対する簿外の報酬の支払はなかったものと認めるのが相当であり、これに反する被告人の当公判廷における供述及び証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中の供述部分は、不自然、不合理で具体性を欠き信用できず、弁護人の主張は採用できない。

四  賄費の算定について

弁護人は、本件では昭和五四年分の菅原産婦人科医院の賄費の額が不当に低く算定されていると主張する。しかしながら、前掲各証拠によれば、昭和五四年分の菅原産婦人科医院の賄費については、算定資料が存在しなかったため、昭和五三年分及び昭和五五年分の各一定期間の賄費の一食当たりの金額を基にして、昭和五四年分の一食当たりの金額を推定し、これに入院患者の人数等から推認される総食数を乗じて計算しているところ、このような計算方法は合理的であり、実額計算に準じるものというべきで、不明確な部分は被告人に有利なように認定するなどの配慮もなされており、結局昭和五四年分の賄費の額は、右計算による額を超えることはないものと認めるのが相当であり、弁護人の主張は採用できない。

第四  弁護人の主張はないが、被告人は、当公判廷において、昭和五三年及び昭和五四年中に、本件で認定された金額以上の診療代金の免除額及び貸倒れ金額が発生していると供述し、証人ムツ子に対する当裁判所の尋問調書中にもこれに沿う供述部分があるので、この点について判断しておく。

所得金額の算定に当たり、検察官が被告人の診療代金収入につき一定額の診療代金の免除ないし貸倒れ損失の存在及びこれを超える損失の不存在を一応立証している場合において、被告人側でこれを争おうとするときには、被告人はその存否を最も良く知り得る立場にあるのであるから、具体的な債権の発生及びそれが貸倒れ等になった事実を主張、立証する必要があることは当然であり、これを具体的に行わない以上、検察官の立証責任は尽されているものというべきである。

本件においては、前掲各証拠によれば、国税局の捜査段階における、一定金額の診療代金の免除、貸倒れとそれ以上の免除、貸倒れ金額がないことを自認するムツ子の答申等に基づいて、診療代金の免除、貸倒れ額を認定したものと認められるところ、被告人側においては、被告人及びムツ子が単に抽象的に診療代金の免除、貸倒れが存在すると供述するのみで、それ以上の診療代金の免除、貸倒れが存在することを何ら具体的に主張、立証しないのであるから、診療代金の免除、貸倒れ金額は、検察官の主張、立証額を上回るものではなかったと認めるべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、いずれも、行為時においては、刑法六〇条、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、刑法六〇条、右改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、刑法六条、一〇条により、いずれについても軽い行為時法の刑によることとし、いずれも所定の懲役と罰金とを併科し、かつ、各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金一三〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間その懲役刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、全部これを被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 東松文雄)

別紙1 修正損益計算書

〈省略〉

別紙二 修正損益計算書

〈省略〉

別紙三 税額計算書

〈省略〉

別紙四 税額計算書

〈省略〉

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